2013年1月28日月曜日

厳しい教育怖い教育

 体罰が問題になっています。既に多くの方が指摘していますが、今問題になっていることの多くは罰ではありません。罰とは、悪いことに対するペナルティーですので、そもそもの言葉の使い方が違います。
 暴力は論外ですが、そうでなくても厳しい教育や躾はどうでしょう。成長の過程で、厳しさを知りそれに耐える経験は、人生の大きな糧になる。自分の過去を振り返ってもそう思います。でも、自らそのような環境に自分をおくことは難しい。それを与える大人、教育者の存在が重要です。
 一方で、厳しさによる教育は、恐怖心を利用した抑圧になる危険があります。教える方は、子供の将来を願い、厳しくあたることもあるでしょう。勉強やスポーツだと、教える方は厳しいと思ってなくても、初学者の生徒や学生諸君にはとても厳しく怖く感じられことがあります。教える方は、その事を十分認識しなければならないと思います(自分の事です)。
 厳しさが過ぎると、叱られるということに必要以上の恐怖を覚えるようになります。怒られることがとても怖いのです。その結果、叱られるということ、批判を受けるということに、とても敏感になります。臆病になるのです。 大舞台に弱い一因となるかもしれません。
人は必ず失敗をします。他人に迷惑をかけることもあります。そのようなとき、人に知られたくない、批判を受けたくないという思いが、必要以上に強くなる危険がないでしょうか。こんなことを書いていますが、もし自分に何か起こった時にどのような行動をとるか全く自身はありません。
恐怖による支配は、それが暴力はでないにしても良い結果を生まないと思います。
厳しさと抑圧の違い。難しいことですが、、

0 件のコメント:

コメントを投稿