2013年1月26日土曜日

無常ということ

小林秀雄の「無常といふ事」の向こうを張る、などとと言う大それた話ではない。「無常といふ事」を読んだ事は以前書いた。その時に考えた別のことを書いてみよう。

「無常」は、諸行無常と言う言葉もあるとおり、Nothing lasts foreverだ。一方、全く同じ音で「無情」と言う言葉がある。こちらは、情けのない事、思いやりのない事。二つの意味は異なるが無常について考えるとき、無情が思い浮かぶことがある。早い話が、小林秀雄の「無常といふ事」を読んでいる時、頭の中でアンルイスの「あゝ無情」が鳴り響いているのは私だけだろうか。

我々が文字で「無常」と認識すると、頭の中では「むじょう」と言う音が浮かぶ。すると、記憶の中にある「無情」も連想されことがあるのは自然なことだろう。それを意識しているかどうかは別だ。頭の中であゝ無情が鳴り響いたのは、無意識のうちに無常から無情が想起されたからだと思う。

同音異義語というのは珍しくはないが、無常と無情は、どちらも、悲しい、虚しいといった共通のニュアンスをもっている。なので、二つの言葉に対する感覚が混じりやすいのだと思う。私の頭の中はどうもそうなっているらしい。脳科学をやっている人には笑われてしまいそうだが、無常と言う言葉の魅力(?)は案外こんなところにもあるのではないだろうか。

きれいでしょ、ヒラヒラと、、、

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