2024年8月6日火曜日

8月6日に思う

 今日は8月6日、広島市の平和公園では平和記念式典が開催された。広島大学では8月2日から11日までアメリカの大学から40名ほどの学生が来日してサマースクールを開催している。サマースクールのテーマはAIだが、この機会に平和記念式典に参加したり、平和資料館を訪問する機会を設けた。昨日、8月5日には被爆者の方の話を聞き、放射線についての講義も受講した。

今回アメリカから参加した教員の一人は、核兵器の歴史を専門とする歴史学者だった。昨日はその方の講義もあった。私も大学で平和に関する授業をやっていることもあり、毎年この時期には核について考えることが多い。昨日の講義もそうだが、議論の多くを占めるのか核抑止についてだ。このブログシリーズの他のところでも書いたが、私が思うところを繰り返したい。

核抑止論に対する批判は大きい。人類を滅亡させる巨大な力に頼る戦争抑止は大きな問題だ。核抑止からの離脱、核の廃絶を願うことに異論は無い。しかし、核廃絶の議論を聞くとき、核を廃絶した後の社会でどのように戦争を防ぐかという議論はどうなのだろう。ウクライナへの武器供与の際、米国がハイマースの射程を80km以下にした。戦闘機は供与してもロシア国内への攻撃は認めない。ロシアが核を持っているからだ。ロシアの核による脅しは許容できない。しかし、核による戦闘の拡大防止が働いているのは事実と受け止めなければならない。

人の集団同士に軋轢が起こったとき、それを解決するためにまず人が行うのは暴力による解決の試み。戦争だ。歴史はそれを明確に語っている。人類が話し合いによる解決を真剣に考え始めたのはごく最近、第1次世界大戦の後だろう。その場合でも、話し合いによる解決には常に武力の均衡が前提となる。

核を廃絶するためには、核を廃絶した後の社会設計必要だ。言い換えれば核に変わる抑止力をどうつくるかだ。それが無いと世界中で通常兵器による戦争が勃発してしまう。

残念ながら筆者は答えを持っていない。核抑止はやられたらやり返す懲罰的抑止だ。核に変わる抑止は多分それではない。拒否的抑止、すなわち十分な防御力を見せることによって攻撃を諦めさせる抑止を考えるのだろう。世界中の国が21世紀の万里の長城で国境を囲むのか。。あまり考えたくないが他に想像できない。