2013年5月15日水曜日

シンポジウム準備(当日は波乱万丈の予感)

前にILC技術設計書完成イベントのことを書いた。このイベントでは、セレモニーの様子をWeb(Ustreamを使う)で放送したり、国内外の会場をWeb会議システムでつないで、リアルタイムでメッセージをもらうことを計画している。
会場は東京大学山上会館。立派な会議場です
6月に予定している、
昨日、そのためのネットワーク接続のリハーサルを行った。Web会議と、放送を同時にやるだけでもなかなか複雑だが、それに同時通訳の音声が加わる。
Web放送は日英両方準備、音声は同時通訳からもらうことになる。Web会議はこの際英語だけにしよう。Web会議の音声も同時通訳からライン入力。向こうから送られてきた音声は会場の音響システムにいれなければ。うまくやらないと、とんでもないハウリングを起こしてしまう。Web会議の画像も会場のスクリーンに映して、会場の映像も送らなければ。こうやって書いても、何が何だか分からない? でも、やるといってしまったからな。。
昨日は、とにかく会場のネットワークと、Web放送、Web会議ができることを確認した。宿を秋葉原にしたので、朝から電気店で必要な物品の物色。どうやってハードをつなぐか考えながらなので、ずいぶん長い時間店に入り浸っていた。午後からこちらの会場で接続試験。Web放送は昨年12月以来なので やり方を思い出すのに時間がかかったが、まあなんとかできた(たまたまうまく行っただけ?)続いてWeb会議接続の試験。こちらの準備に時間がかかって、約束の時間ぎりぎりに接続したら、もう筑波と中国から接続して待っていた。中国は北京が会場なのだが、ちょど上海で加速器の研究会が行われていて、そこに行ってる関係者がiPhoneを使って参加してきた。便利になったものだ。というわけで、東京ーつくばー北京ー上海をつないで双方向の音声と映像の送受信に成功。残るは、インドだけとなった。インドとは、音声のやりとりはできたけど、映像はうまくいかなかった。理由は分からないな。乗り込んで設定するには、ちょっと遠すぎる。
まあ、それなりにうまくいった。と言うか、根本的な問題はないことは分かった。同時に、当日うまくことを運ぶのは、とても大変。周到な準備と打ち合わせが書かせないことを再認識。よーーーく考えよう、と言うのが最も重要な結論のようだ。

2013年5月9日木曜日

広島について時々思うこと。

  広島空港から電車で帰宅の途中だ。空港からバスで最寄りの白市駅まで行って、山陽本線に乗る。この路線に乗るのは、ずいぶん久しぶりになるが、広島に来て以来、時々思うことが頭に浮かんだ。
 この白市駅、広島空港の最寄り駅なのに、エレベーターもエスカレーターも設置されていない。重い荷物を持っていたりすると大変だ。JRがなかなか整備しないのはなぜだろう。飛行機に客を取られたくない、と言うことであれば狭量に過ぎる。原因はは、JR西日本管内であることではないだろうか。JR西日本の本社は大阪にある、その投資先が関西圏が最優先なのは、乗客数から考えても自然だろう。こんなことを考えていて、広島に来たばかりの時、全国紙の夕刊が無いことを知って驚いたことを思い出した。広島で配布される大手紙は、大阪で印刷される。なので夕刊は間に合わない。朝刊は今も10版くらいのかなり早い段階の版がやってくる。実は、広島からは大阪より福岡の方が大分近い。福岡版を持ってくれば夕刊も読めるのではないかな。

JR九州の電車
 JRに話をもどす。私は実家が北九州で、年数回帰省する。その度に思うのだが、北九州ではJR九州の新型の電車が投入されている。


JR西日本 山陽本線の広島ー西条辺り
広島では、山陽本線の広島ー西条辺りでこんな感じ。これ、115系と言って、国鉄時代の車両だ。JR西日本管内で、広島に新しい車両が投入される順番を待つしかないのだろう。(来年遂に、223系(今大阪で見るやつ)が来るらしい)。駅も、JR九州は2006年に新しい北九州空港ができると同時に、最寄りの2駅が完全リニューアルされた。(今の広島空港ができたのは1993年)   新聞と言い、JRと言い、関西圏の端と扱われているのが、問題の根本ではないか。(民放も一つ無いのを忘れてはいけない。)
 広い中国地方を関西と一緒にするのは無理がある。関西の端ではなく、中国地方の中心なんだ。経済的な難しさはあるとおもうが、九州も、四国も、北海道も頑張っている。もっとできるはず。

2013年5月1日水曜日

シンポジウム@ワシントンDCーちょっと裏話

 4月30日にワシントンDCで行われた政産学連携・先端科学シンポジウムは,無事に終了。シンポジウムの様子はそのうちにILC通信LCNEWSLINEから報告されるだろう。ここではちょっとだけ裏話。ワシントンに来た来たときの様子はこちらこちらに書いた。その後ブログのアップが途切れたのは,シンポジウムの準備が本格化したためだった。

ここから始まった。

前にも書いたけど,こちらに到着した頃は,「先遣隊として早めに来たけど,そんなにやることあるのかな~」という調子だった。まずは,昼食でもとりながら,考えよう。
ホワイトハウスの写真を撮りながら,とりあえず集合。
写真撮影時、この後の出来事をまだ知らない。

「これが,日程です。」
「なるほど,政治家の方も来るとなると,いろいろつまっていますね。」 
(まだ人ごと)
「ここと,こことは何人かで出迎えに行きましょう。」
「了解。」
(やることはしっかりありそうだ)

「これがシンポジウムの予定です。皆さんにも送ってますよね。」
「講演者紹介用のまとめは?」
「まだです。」
「ああそれと,講演者のための資料も作らなくては。」
(おお,これは結構大変かな)

「パネルディスカッション。モデレータ,パネリストと打合せが必要だけど,まだ白紙だよ。」
(げげ,,,)
「パネルディスカッションの関係者が来るのは,早い人で前日夜。後は,当日。」
(げげげげ,,,)

「会場づくりの段取りは?」
「アメリカ側の担当者が,ホテルとやりとりしたけど,詳細は不明です。」
「担当者はいつくるの?」
「分からない」 (実際はシンポ開始のの3時間前だった)
「テーブル,プロジェクターの配置は?記録用のビデオカメラは?
PC用の電源は?主要出席者の席順は?同時通訳へ資料送った? 受付は?,,,,,,,」
「全部詳細不明。」

(寝る時間ないじゃん,,,,)

そして,当日まで,
眠気を我慢しながらホテルへ。でもきれいだ。

  急遽,ホテルの一室が現地対策本部になって,作業開始。といっても,全員,数時間前に日本から着いたばかりで,時差ぼけ眠気でへろへろ状態。
それでも,なんとか,やることリストの洗い出しと担当者を決めたら,夜の10時すぎ。日本を出発してから,24時間をとっくに超えている。
急遽日本へ連絡して,カメラのICレコーダーを持ってきてもらうように頼んだが(しかし土日だ)
その日はこれで限界。夜のホワイトハウスを見ながら宿泊のホテルへ。

次の日からの2日間は,ひたすら作業,と思いきや,ぽっかり空いた2時間でスミソニアンの宇宙航空博物館に行くことはできた。
我々に取って,ここの目玉はなんと言っても,アポロ11号に司令船。
つかの間の休息。アポロ11号
小学生の時,テレビでみた月着陸のニュースが思い出される。一緒に行ったみな同年代。このニュースが科学者を目指したきっかけの一つだ。ここで実物に会えるなんて,,感慨もひとしおだった。

つかの間の休憩を挟んで,夜まで準備が続く。(その合間にも,夕食だけは,しっかりたべていたけど)。こちらに来たのが,週末なのが痛い。ホテルの会場係に連絡しても,月曜日にならないと会えないらしい。(本番は火曜日)。
できる限りの準備をして,月曜日。ようやく関係者が到着し始める。ホテルの会場係と打合せができた。事前に,アメリカ側の関係者が,どのくらい打ち合わせていたか,不安だったが,思いの他(と言っては失礼だが)ちゃんと手配されていた。ホテルの担当者は,さすがに手慣れている。こちらの要望を聞いて,それに会わせた案を考えてくれる。なんとか,もとの会場設置案から少しの変更で対応できた。
準備はできた。後は本番
(もとの案にはパネルディスカッションの配置がなかったのだ)。後は当日,実際の椅子やテーブルの配置を見ながら修正していくしかない。開場から本番まで3時間あるのでそこで何とかしよう。

いよいよ本番
いよいよ本番当日。ようやくアメリカ側の関係者が登場して,打ち会わせ(しかし,手配をした当人が本番3時間前に,他の出演者と一緒に来るとは,強心臓というかのんきというか)
あとは,ほぼ順調。パネルディスカッションの打合せもスムースにできた。
100席ほどの開場はほぼ満席。日米会わせて80~90名くらいかな。
河村衆議院議員(ILC議員連盟会長)の基調講演を皮切りに,日米の政産学の皆さんから講演があった。
ILCの物理はご存じ村山斉さん。いつものようにすばらしい講演だが,とても早口。同時通訳は追いつくのかな?と思っていたら,案の定、追いつかなかった場面もあったようだ。
私は,ずっと会場の後ろでビデオを撮っていたが,休憩時間に同時通訳の人(アメリカ人)がやってきて,「このビデオはどうするの?」。質問の真意が分からず,「まだ決まっていないけど,そのうちYouTubeにでもアップするかな」と答えたら,「すばらしい内容だ,是非」とのこと。これはうれしい。
終わりました。記念にぱちり
講演が終わって,次は,(気がかりだった)パネルディスカッション。モデレータの駒宮さんも「これは難しい」と感じている様子だ。しかし始まってみると,駒宮さんもパネリストの皆さんもさすがは政官学の第一人者,建設的な議論をすることができた。

ふ~~
 無事に終わってほっとしている。ホテルに戻ったら,午後10時にもならないのに,眠くて仕方がない。そのまま寝てしまって。起きたら午前2時30分。仕方が無い?のでこのブログを書いている。

このシンポジウムは,「日米の政官学の連携で,先端科学技術を推進しよう。そのモデルとして,ILCの実現にむけてさらに協力しよう。」という趣旨だった。考えてみると,このシンポジウム自体が政産学の連携でなりたっている。このブログでは,私の周りで起こったことだけ(それしか分からないので)を書いたのだが,日米双方で,政,産,学の多くの人の大変な努力で実現にこぎ着けたことは想像に難くない。なので当日の段取りまで手が回らなかったわけだ。(寝る間の無かった人も知っているし,,)このシンポジウムの開催自身が,まさに政産学連携の事業だった。ILC実現へまた一歩近づいたと信じたい。