つくづく思うのは人は,主観で行動を決めるということだ。集団の場合も間主観の共有によってその行動を決めるということだろう。
民主主義の 基本となる選挙 についても同じことが言える。ユヴァル・ノア・ハラリは 選挙というのは 公衆の意見を集約するのではなく,その雰囲気を 集約するものであると言っている(ホモ・デウスだったかな)最近特にその傾向を強く感じるのは私だけだろうか?
しかし,これは公衆が変わったのではない。 人はそもそも 主観や感情で行動を決める動物だ。 選挙で票を得ようと思ったら,民衆の 感情に訴える方が早く効果的なのだ。 しかし多くの為政者は,多分それは分かりつつも,主に政策についての論理的な説明によって支持を得ようとしていた。 ところがここ数年,特に前回のアメリカ大統領選挙以来顕著になったと思うのだが, 民衆の感情に訴えて支持を得る手法を用いる為政者が増えてきたと思う。 そしてかなりの確率で成功している。
これは,民主主義の根幹をなす選挙について, 大きな疑問が投げかけられていることを意味しているのではないか?
民主主義は, 正しいから 現代の 政治手法の主流となっているのではない(そもそも正しいとは何か自明ではない)。 歴史の紆余曲折のを通じ,人類社会を発展させる手法として生き残ってきたということだろう。 民主主義という手法がこの先も生き残るのか?そうだとしても今のままの方法で良いのか?
大きな課題を投げられていると思う。
全然関係なくて申し訳ないのですが久々に覗いたらブログの名前が変わっていてびっくりしました
返信削除