2014年4月7日月曜日

大学は遊ぶところだ。

  今日は、新年度の本格始動の日。1~2分だけど、新入生に向かって話す機会があった。そこでは、「君達の前には広い世界が広がっている。大学はそれを経験する機会を提供するので十分に活用して欲しい。」と話した。(研究室の話をする教員がほとんどだったので、あえて別のことを言ったのだ。) 
でも後から、バラ色の話ばかりしていてもどうか、と思い始めた。そこで、特に理学部(文学部も?)の新入生を念頭に、あえて苦言に近いことを記そう。(タイトルと全然違うって??)

   新入生諸君は、大学は何をするところだと思っているだろうか? 大学で何をしようと考えているだろうか? 逆説的だが「大学は遊ぶところだ。」生活に直接役に立つ技能を身につけるだけならば、大学に来る必要はない。もっとそれに特化した学校もあるし、会社に就職したら徹底的に鍛えてもらえる
  ではなぜ大学か? 
             決まった答えは無い。
もちろん卒業するためには必要な単位を習得しなければならない。しかし、例えば理学部物理学科で習うのは「物理」だ。それを習得して社会でどう役立てるのか?多くの学生諸氏にとって自明では無いだろう。一方、単位をとって卒業する“だけ”ならば、100%の時間を勉学に費やす必要は無い。では何をするか。それを教えてくれる人はいない。自分の責任と努力で見つけるのだ。これは大変なことであることに直ぐ気づくだろう。道標の無い、それどころか道も無いかもしれない、ところを一人で進んで行かなければならない。仲間はいる。しかし自分の道を創るのは自身しかいない。君たちはこんな大変な人生を選んだ。大学など来ずに就職して給料を貰った方が楽な道だったかもしれない。しかし、そうと決まった以上、その人生を楽しむことだ。これが、「大学は遊ぶところ」の意味だ。

 そして、大学に来た意味を見つけることができたら、大学に来た目的の大半は達成できたと思って良いだろう。その時、先人の大変な努力によって若者を20歳過ぎまで遊ばせることができる社会になったこと、もっと身近にそれまで君たちを支えてくれた人々がいることを忘れてはいけない。私は、社会が大学の存在を認めている理由も、無意識にせよ遊ぶ時間の重要性を認めているからだと考えている。

これから様々事が起こるだろう。もし迷うことがあったら、私たち教員に来るのものも良い案かもしれない。きっと何も出来ないだろうけど、寄り添うことは出来るかもしれない。
幸運を祈る。



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